STORY
蛇尾 3
わたしに付きまとって離れない、いくつかの想念がある。それらは砂漠や独房と大差ないが、わたしの世界を支配しきってしまうほど強烈ではない。しかし、わたしがそれらに脅かされ続けているのもまた確かである。わたしは、それらの想念や感覚を、書こうと思う。これは、難しいことである。書く、ということになんら意義を見出せないのは別としても、まったく、わたしにすら理解できないような文章を、誰が解読するというのか。かつて歴史上に存在したことのない、未知の言語で書いているようなものである。ちょっとしたところ、わたしはわかったような気になる。この文脈はこれを意味し、この単語はこういうことなのだ、等々。しかしながら、実は、ほとんどなにもわかってなどいない、ということもまた、わかっている。このことを説明するのは難しい。まったくなにもかもが難しすぎる。神に壊されたあの塔、いや、壊されてはいないかもしれないが、とにかく、塔を建造していた古代人たちは互いに言葉が通じなくなったのである。とでも書いて、ごまかしておくしかない。
生まれつき眼球になにか間違ったものがへばりついているのだろう、あるいは、脳とか神経とか、別にどこでも構いはしない。わたしは、物事の正しい姿を理解しているとはとても思えないのだ。すべてがゆがんで感じる。しかも、そのゆがんだ状態こそが、実は正しい姿なのかもしれないのだ。そのどちらが本当なのか、わたしにはさっぱりわからない。だから、わたしは、わたしの想念を正確に書いている、などとはとても言えない。というのは、真実であれ、ゆがんだ姿であれ、それをそのままわたしが書けているとは限らないからだ。わたしはまったく間違った、とんちんかんなことを書いているのかもしれない。林檎のことを書いたはずが、猫になっている。むしろ、林檎でも猫でもない、単なる文字の集積、まったく意味を成さない、混沌、紙資源の無駄でしかない。子供の落書きよりさらにひどい。そんなことは非常にしばしばある、という気がする。その上、わたしは書いたそばから、書いた文章を否定する。すべては修辞である。わたしは、眼球とか、脳とか、そんなものは信じていない。かといって魂を信じているわけでもないが、要するに、わたしはほとんどの事柄を信じてなどいない。言い換えると、むしろ、信じることができないのだ。わたしはすべてを単純に信じたいと思う、しかし、だめだ、わたしの疑念は消えることなく、わたし自身をさえ信じていない。わたしのこの疑念すら、嘘かもしれないのだ。ということは、わたしはこうこうである、などとわたし自身書いたことは嘘かもしれず、いままで書いてきたこと、いままさに書いていること、すべてがでっちあげに過ぎないかもしれないのだ。こうした文章の組み立ては、砂ですらない不安定なものでできた土台に、なんだかわからないものを、なんだかわからない素材で、つくっているのと変わらない。いったい、どこかの悪意ある誰かが、わたしをこけにしているのではないか。
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